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2011年9月 のアーカイブ

溝口尚美さん: コミュニティメディア「シネミンガ」創設者

2011年9月7日 コメントする

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溝口尚美さんについて

現地の子供たちに囲まれる尚美さん(中央奥)

日本の音響専門学校を卒業後、テレビ局をはじめ様々な分野で映像制作のディレクターとして働く。2004年、アメリカのコミュニティメディアの先駆けであるニューヨークのDCTVにインターンとして入社。2008年、NPO「シネミンガ」を共同設立。南米コロンビア先住民の人々に機材を提供し、使い方をレクチャーする。彼らが自分たちの声を自分たちで届ける一助を施す。

※シネミンガの活動についての詳細は こちらにて→

Web: www.cineminga.org

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ニューヨークを選んだ理由、いきさつ

—ニューヨークに来ようと思ったきっかけ、いきさつは?

日本で10年近くフリーでディレクターとしてテレビの仕事とかをやっていて、ディレクターとして取材させてもらったのね。

例えば日本の仕事では児童虐待しているお母さんとか、摂食障害になってる当事者とか、すごいしんどい思いをしている人がいて。その人たちに取材をさせてもらって、何回も何回も話をして、「これで!」っていって上の人に出すんだけど、結局それが、特に商業的なテレビ、民放だと、スポンサーとか、テレビ局のお偉いさんとかの意向で、なんか自分が入れたいところ−−私は当事者の人たちの声を伝えている訳だから彼らの代弁者な訳なんだけれど−−がカットされちゃったりとか、「これはちょっと暗すぎるのでやめましょう」、とか、そういう企業の論理みたいなのがあって、それに疑問を感じて、もっと自由にこの人たちが言いたいことを言える場所があればいいのに、と思っていたんですね。

現地の人と一緒になって映像制作に励むシネミンガスタッフ(写真左)

あと自分も、「そんな代弁者である自分」にどこか納得できなかったんですね。それで、私たちが現地に行って、「わあーっ」とこう一週間か二週間やって撮って、いかにも知ったかのようにして−−もちろん勉強もするんだけども−−そうやって撮るよりも、「撮られる側の立場の人が自分でカメラを持って、自分たちが言いたいことを撮る」ということを、やってもいいんじゃないかと思い始めて。それをどっちかというと私がディレクターとして行くよりは、お手伝いをしたいな、とずっと思っていたんですね。


そんな時に、たまたまDCTV(ダウンタウン•コミュニティ•テレビションセンター)っていう、アメリカで一番古いコミュニティーメディア団体が今まで私が聞いたこともないこと−−例えば障害者にビデオを教えたりとか、貧乏な高校生に教えたりとか−−そういうことをもう30年以上やっていて、そこがどんなところか見てみたいっていうのがあって、そのためには、旅行でこうパッと来るんじゃなくて、そこで一回働いて、私NPOもやりたかったので、どういうような仕組みでやってるのかとか、それを知りたかったの。それで来ようと思って。

—「コミュニティメディア」というのは具体的にどういうものですか?

コミュニティメディアは、日本では「市民メディア」というんだけども、いわゆるプロが大きいカメラ持っていって取材するんじゃなくて、市民が自分でカメラをもって自分の言いたいことを自分たちで伝えるということですね。

それをずっとやりたいと思っていて、それは個人でやるんじゃなくて、NPOとしてやりたかったのね。社会貢献的な活動として。それは一人ではできないな、と思っていて、なんとなく、誰かいないかなーって思いながらずっと日本でも探していたんだけど、まあなかなか私のやりたいこととぴったり一致する人がいなくて、そしたらたまたまある映画の字幕製作の仕事で、カルロス(今パートナーとして一緒に活動している方)がスペイン語の字幕制作をする役として来ていて、私はエディターで、なんか知らないけど同じようなことをやっていたんですね。

—もともとカルロスさんはNPOの活動をやられていたんですか?

会った時はしてなくて、一人でアンデス山脈の天辺に最初はカメラを持たずに行って、ちょっとずつコミュニケーションをとりながらやりはじめて、彼もNPOとして活動したかったから、誰かパートナーを探していて、人が欲しかったのね、一緒にやってくれる。で、まあたまたま私に会って、私は当時インドでやりたいことがあったんだけれども、ほとんどゴールが一緒なんで、って半分説得されて(笑)。で一緒にやろうと思ったのね。その後、私が日本に帰ったときに、中古機材の寄付を募ったら、5台の中古カメラと、2台のコンピューターの寄付をもらったんで、それをコロンビアに持って行って、それがシネミンガとしての最初の正式な活動になったわけですね。

—ニューヨークには単身で来られたわけですよね。

文化庁に芸術家を海外に送るプログラムがあって、それに2回応募したんだけど、2回とも落ちたのね。(笑)

テレビのディレクターって、悲しいことに、文化庁からみたら文化じゃなくて、映画監督は文化人としてみてくれるんだけど、テレビのディレクターはあんまり文化人として見てくれないのか、とにかく二回ともダメで、でもそのとき行く気満々だったから、「一年だけならなんとかなるわーっ」て思って、一年と決めて、DCTVさんに、ほんとに門を叩いたいうか、インターンさせてくださーいって。最初は英語がダメですっていって落とされたんですけどね(笑)。2回目に合格できて。

—そこからニューヨークでのコネクションを広げたわけですか。

コネクションというよりは、私自身がすごくDCTVに興味があったので、そこでインターンさせてもらって、そのままそこでお仕事させていただいて、って感じですね。

—日本でやっていたお仕事が自分に合わなくて来られたということですか?

「お仕事が合わない」というよりは、社会の役割を見たときに、コーヒーを作っている人がいたり、ビデオを撮っている人がいたり、色んな人がいて世界が成り立っているじゃない。それで、「自分の仕事としての役割が、ディレクター」っていうのは私の性に合っていないと思ったのね。やろうと思ったらできるけれど、なんか自分の人生の中でこれを続けることに私は満足できない。人生が終わったとして、私今までに100本くらい作ってるんだけど、それが例えば500本作ったとしても、それで終わる自分にどこか幸せを感じない。たぶん性に合ってないんだなあ、と。

でも、かといってインディペンデントのディレクターっていう道もあったんだけれども、そこまでこう一個のテーマにこだわって、撮り出して、賞取りたい、っていうような欲求もなかったの。(私にとって)一番楽しいのって現場で外の人たちと会って話をしたり、コミュニケーションをとって色んなことを聞き出す、「交流を持つ」ことで。児童虐待しているお母さんの話でも、話をして心がふれあう瞬間というか、そういうものに魅力を感じていて。

また、自分で撮ったものが他の人に伝わる、多くの人に一瞬にして伝えることができる、っていうものはすごく貴重なことで、でそれをうまく伝えられなかったらどうなんだろう、ってなんか自分の中でやりきれないものがあって、撮るっていう立場じゃなく、「一緒になって作る」っていうのが面白いんじゃないかなって思って。自分の仕事として、合ってるんじゃないかなと。性格的にも。

現地での活動

撮影方法を伝授する尚美さん(右)とヘオディエルさん(左)

—コロンビアやパレスチナなど色んな国に行かれてると思うんですけども、現地での活動で一番大変だな、と思うことはなんですか?

コロンビアに過去3年くらいずっと行っている中で一番困るのは、まず言語。言葉がスペイン語どころか現地の言葉だから、コミュニケーションの方法が全然違うので、通訳がいるいないっていうこと以上に、文化が違うのね。

例えば、二つあって、プロだと現地にパッといって10分でパッと用意して撮るっていう感じだけど、向こうの人はまず座って、お酒飲んで、とか、とりあえず喋ってご飯食べさせてくれたり。「撮影やります」って前もって言ってあるのに行ったら居なかったとか。現地の人たちは感覚が全然違うことがまずありますね。私たちのペースと向こうのペースが全然違う。向こうの人はアマチュアなわけで、私たちプロとアマチュアが一緒にやっているから、仕事のやり方の違い、プラス文化の違いっていうのが一番まあ苦労することですかね。(笑)私たちが(全部)やったら早いんだけども、向こうの人に覚えて欲しいから、これこれこうやって、って言っても、向こうの人には伝わってなかったりとか、飽きちゃったりとかしたりね。

—言語が違ってもコミュニケーションはとれるものなんですか?

私の場合は、スペイン語がほとんどわからないので、英語で私とカルロスが喋って、でそれをカルロスがスペイン語に直して、で、スペイン語から現地の言葉にする、っていうそんな流れを何回も繰り返してっていう感じですね。

—それはとても時間が掛かりそうですね。

そうですね。で、他は予算のことかな。今のところNPOにやっとなったばかりで、お金がいくらあってもどんどん出て行くばっかりですね。現地の人はお金持ってないから。私たちがお金持ちと思われてて、本当はお金持ちじゃないんだけど(笑)、「家賃がなくなったー」とか言われたり、プライベートなこと頼まれたりして、ま、お金貸してあげたりとかもしたしね。

あともっとビックリしたのは、コロンビアの政府から仕事をもらったのね。「ビデオ作って」って頼まれて。で約束の日になってもお金が入ってこなくて、もう撮影やるって決めてて、全部段取りは着いていて、さあ行こうってなってたのに一週間経っても入らなくて、でどうしたのって聞いたら、会計監査の保証ができないとかでお金が入らないらしくて。政府がよ!(笑)結局、もう段取り全て整ってたので、絶対いかなくちゃって状況にもうなってたから、立て替えて。結局お金が入ったのがその3ヶ月後とかね。一応お金は入ったんだけど、不祥事というか、間に入ってた団体がお金を横領しちゃったりとか、すごくそのコロンビアっていう国の政治には闇というか、日本では考えられないことがあるみたいね。そういう面では日本とは全然違う。あとは、コロンビアタイムで、全部遅いのよ。何時って言ったら絶対遅れるし、何日って言っても絶対遅れるからね。

仕事をする、ということについて

—映像関係のお仕事をしていて、楽しいことまたはこれはつらいと思うことが何かあれば。あとはプロジェクトベースのお仕事をされているので、生活のメリハリもつけなきゃだと思うんですが、何かコツや工夫されていることはありますか?

まあ私ずっとフリーランサーだったので、日本にいるときから。だからもう15年以上フリーなのでわりと仕事形態には慣れてるし、私の性には合っているのかなとは思いますね。10時から6時までみたいな仕事よりは、プロジェクトごとに、もう徹夜してでも一生懸命やって、ま、終わったなら休みがパアっとあって、って言う感じ。やっぱりこういう仕事環境は、自分がレイジーにならないっていうか、フリーランスだから仕事も厳しいし、ブワーと仕事があって、それが終わると、まあちょこちょこ仕事はあるんだけど、ある程度休めて〜、みたいな。気づいたら3ヶ月休みがなかったとかもあるけど。でもその忙しい中で、自分の生活を管理していく。例えばいくら徹夜しそうになっても夜は少しでも寝る、とか規則を自分の中で作る。あとはお金のこと。たとえば今ぶわっと仕事してお金がぶわっと入って来ても、次の3ヶ月何も無いかもしれない。だから必ず一定の期間一定のお金には触らないって決めとく、とか。とにかくフリーランスなので、やっぱりバランスの取り方はとにかく必要ですね。食事のこともそうだし、睡眠のこともそうだけど、自分の中でうまく調整していかないと、結構むちゃくちゃになっちゃう。(笑)

—先程もおっしゃられてたように、徹夜もざらじゃない、忙しいときはめちゃくちゃ忙しいっていう環境の中で、これがあるからつらくても徹夜してでも続けられる、という要素は何でしょうか?

やっぱりこの仕事が好きっていうこと。もちろん身体的にも精神的にもしんどいことはあったんだけども、あんまりそれでやめようと思ったことはないというか、けっこう楽しんでやっていて、今例えばテレビ局のお仕事をやっていると、もう毎晩2、3時まで、次の朝8時出社〜、とかでさすがにしんどいけど、やってるときはもう結構エキサイトしてやってて、すごい集中力でやってるし、それはやっぱり自分がこの仕事が好きだからやっていけるっていうのはすごくありますね。あんまりこの仕事をやっていてつらいと思ったことはないかもしれないですね。しんどい、はあるかもしれないけどね、こう、人と揉めたりとかね。でも「つらくてもう辞めよう」とか、「この仕事でいいのかな」って思うことはほとんどないですね。やっぱりこの仕事が好きで、どのプロジェクトでも一回やり始めると、うわーっ、となりますね。たぶん自分にすごく合う仕事を見つけられたんだと思う。飽きることがないのね。人にずっと会うし。新しいことを吸収しつづけられるし。たぶん私自身すごく好奇心が旺盛なところがすごくこの仕事に合ってるのかな。

—先程「性に合ってる」とおっしゃいましたが、なおみさんはどんな性をお持ちでしょうか?

やっぱり好奇心旺盛なところじゃないかな。撮影やビデオの仕事って、例えば総理大臣にインタビューとか、トヨタの社長にインタビューとかするとするでしょ。何にも無しにインタビューできないのよ。ある程度勉強して、その人のバックグラウンドとか、いろんなことを勉強して、でインタビュー行くと、すごい深いことを聞けるのね。それはその答える人も、カメラがあるから答えられるのよ。これは完全に「カメラマジック」で、たぶん普通にお茶飲みながら話すのだと「あなたの人生の何とかについて〜」っていうのは聞きづらいし、答えづらいっていうのがあると思うんですね。でもカメラの力のおかげで、すごいその人の、普段の会話では聞き出せないような深い部分が聞けたり、まそれを聞き出すのが私たちの仕事なんだけれども、上手く行くともうスゴイことが聞けたりするんですね。かと思えばホームレスの人とか、それこそアンデス山脈の先住民の人とかにも、カメラを持って行って、こういうプロジェクトをやっているから(話を)聞けるわけで、それはすごく映像って言う仕事の魅力ですよね。こんなカメラが一つあるおかげでその人の人生のすごい話が聞けちゃう、それを編集してオーディエンスに伝えるっていうのはすごく大きな責任だけれども、すごい面白いことですね。

—「カメラマジック」ですね。

そうね。カメラが入ることによって、関係が変わるっていうのかな。後はすごい短期間なのにすごい濃密なことが聞けてしまうっていうのはやっぱりカメラの力だと思いますね。

—逆にこのお仕事をしていて、これがなければもっと嬉しい、みたいなのはありますか?

んー…。ま、予算があると嬉しいかな。(笑)もうけっこう最近はみんな簡単にビデオを作れるから、すごい安い仕事が多いのよね。(笑)

—でもそれ以外で仕事に不満がないっていうのはすごいですね!

もちろんもうちょっと早く終わって、毎日2時3時まで、みたいはしんどいし、できたら毎日6時くらいに終われたら嬉しい、ていうのはあるけども、それも仕事のうちだから、あんまりそれが負担とか思いはしませんね。もう慣れちゃったせいもあるかもだけど。(笑)

アメリカと日本の環境の違い

—ニューヨークで実際に働きだしてみて、ニューヨークで働いている人と日本で働いてる人の違い、業界の違いなどあったら教えてください。

テレビという業界での違いはあんまりないかな。商業的なテレビ業界に関しては、やっぱりどこも企業の論理があるし、視聴率やお金が第一なところはすごくあるかな。

ただアメリカが日本より進んでいるのは、「パブリックアクセス」っていう法律があって、日本には今ないんだけれども、“Manhattan Neighborhood Chennel“っていうのがそうで、市民の人が自由にビデオを使ってそれを検閲なしで24時間放送してくれるところがあるのね。例えばマイノリティーの人がレストランで差別を受けたとしたら、「これは差別だ!」って言ってビデオを作りました。そしてそれをその番組に持って行けばノーチェックで流してくれるのね。機材も何もかも無料で使えて自分たちでビデオを作れるっていう。そういう法律があるのは一つアメリカ(と日本)の大きく違うところですね。

—検閲が全くないということですか。

検閲もないし、市民が番組をもってるっていうことですね。たぶん(インタビュワーに向かって)マンハッタン住んでるから見れるよ。しかも、ただで機材使えて、検閲無いから流せて、「これ夏美の作品ですー」ってできるよ。

—是非やりたいです(笑)。あとは「働く」という観点からしてアメリカと日本で違いがあれば。

みんなちゃんと帰りますね。(笑)10時から6時までだったら6時にきっかり帰りますね。日本だと終わってから飲み会もあるし、残業もあるし。で、飲み会っていっても営業だったりとか。こっちはみんなはっきりしてて、きっぱり帰りますね。

—それは尚美さんにとってプラスですか、マイナスですか。

良し悪しかな。カルチャーの違いだと思う。職場がドライっていうわけでもなくて、例えば同僚の誕生日だったらケーキ割り勘で買って昼休みにお祝いしたりホームパーティに参加したりするけど、アフターシックスは基本みんな彼氏と過ごしたり、それぞれ自分の趣味の時間に使ったり。でも職場がドライっていうわけでもなくて、みんな話すし仲良くするし。逆に日本はお酒が入って初めてみんな話すみたいな。こっちだとみんなお酒入ってる入ってない関係なく職場でも話すし、ズバズバ言うし、急に首きられるとかもあるし。朝来て、「あなたクビ。」っていうのもよくあるし。コンペティションもあるしね。日本はもうちょっとドロドロしてるかな(笑)。私も(日本に居るときは)お酒の席で交流はかったり、お仕事もらったりしたしね。なんかお酒が入らないと本音を言わないというか。

「仕事を続ける」のに必要なものは?

—仕事をしていてつらいこともあるかと思うんですけれども、ズバリ仕事のやりがいのポイントを。

現地の人々と一眼になって映像を制作している様子。

やっぱり自分のやっていること、やっている仕事を好きであること。それとある程度の期間は仕事を続けること。後輩にも言ってるんだけど、一度やり始めたらどんなに嫌でも最低3ヶ月は続けること。それで3ヶ月が終わって大丈夫だったら、次は最低3年は続けること。なんか嫌だな、合わないなって思っても、そんなことはわかんないから。私がやっている団体も、3年は我慢してやろうと思っていて。投資もすごいしてるし、いくらお金が出るばかりでも、もし3年やって上手くいかない場合は、社会に求められてないか、私たちのやり方が悪いか、私たちのパッションが失われたか、のどれかだと思っているのね。そう、だから長期的な目標じゃないけど、そういうものがないと仕事は続けられないよね。

あとは、ビデオ作って、作ったものを誰かに見てもらって、少しでも誰かに喜んでもらえると、「あーやってよかった」って思いますね。

—たぶん日々の仕事をこなすのも大変で、ほとんどの人は日々のタスクに注意をもってかれちゃうと思うんですけども、その長期的なゴールと短期的に自分が仕事としてやらなくちゃいけないタスクを両立するのには何が必要でしょう?

やっぱりパッションじゃないですか。もういいや、と決めるのも、まだやろう、と決めるのも自分なのね。もうしんどいな、やめようかな、日本帰ろうかな、と思えばすぐいつでも帰れるし、やめられる。でもやっぱりこの仕事やろう、続けよう、と思えるのは、自分がやり出したことは3年って決めてるのもあるし、半端に終わらしたくないっていう情熱があるから。やってやってやって「だめだ」って思っても、まだ努力しきれてないところや、自分のやり方の改善点など、省みれば必ずあるはずで、「もう出来ない」、と見極めるのは早いんじゃないかな、とは思いますね。

あとは、私たちの場合は、団体だから、パートナーがいて、一緒に働いてくれる人たちがいるので、それはすごい大きくて、カクッてつらかったりしんどいときがあっても慰めて、励ましてくれる人がいる。それはすごく大きいかな、とは思いますね。後は友達でも誰でも、何か本音で語ることができる人がいるとかね。やっぱり孤独なのね、フリーランスって。だから独りでいると悪い方悪い方に考えだしたりとか、「アイディアが全くおりてこないー」ってむしゃくしゃしたり。そういうときに誰か愚痴をこぼせる人とか、相談できる人がいるとすごく助かりますね。

最近の活動

—恵比寿映像際にも今年参加されたそうなんですけども、その経緯や、上映した作品についてお聞かせください。

東京都写真美術館というところがやっている世界のアートとオルタナティブビデオの映像祭で、日本でも非常に珍しい映像祭なんですね。たまたま二年くらい前に恵比寿映像祭をやっているキュレーターと知り合って、ちょうどDCTVの作品を日本語に直して販売し始めたときだったんです。「今度、写真美術館でこんなことやるんですがオルタナティブメディアとしてすごくいいんじゃないか、」とお声が掛かったんですね。その時はDVTVが参加したんだけども、最近私たちが東京で上映会をやったときに(そのキュレーターが)見に来てくれて、私たちが作った作品をすごく気に入ってくれて。先住民の人たちのことを他所の人たちが作ったのはいっぱいあるけど、その人たちが作る、一緒になって作るっていうのがすごい面白かったみたいで、それで今年招待されたわけですね。作品は2本あって、一つが「少年の夢」といって、2007年からずーっとやってる、ドラマとドキュメンタリーをミックスさせた作品で、3年がかりで作りました。

—ドラマの方も、現地の人たちが作られたんですか。

ストーリーボードを見ながら話し合うシネミンガスタッフと現地の人々

現地の人と一緒に作ったんですね。でも基本的には先住民の人にカメラを持ってもらって、役者も全部現地の人で、現地の言葉で、10歳の少年を主人公に、ドラマ部分を作ったんですね。で、ドキュメンタリーの部分は私たちがいない間に、置いて行ったカメラを自由に使ってくれてて。使ってたら、火山活動が起こって、その人たちが住んでいたふるさとを追いやられて、避難生活をもう3年以上してるんだけども、その時の起こった出来事を現地の人たちが、私たちが教えた人たちが、撮り続けていたわけ。で、最初はドラマだけで作るつもりだったんだけど、そのすごくリアリティのある話、政府軍が来て水源に排便したりして、その水を子供が飲んで死んじゃった、とか、色んなリアルな話があって、そういうことも入れないと成立しないんじゃないかと。それでドキュメンタリー部分は彼らが撮ったものを入れて、ドラマ部分は一緒に撮影して作品を作ったわけですね。

—なるほど。是非作品見させていただきます!本日は長いお時間お付き合いいただきまして有難うございました。

「少年の夢」についてはシネミンガHPにて。(www.cineminga.org)

インタビュアー: NYJSA 鈴木夏美

カテゴリー:Uncategorized
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